母の秘密のレシピだと思っていた冷やし味噌汁、八年後に知ったツナ缶の笑えない勘違い

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    私が好きなのは、火を使わない「冷やし味噌汁」という名の、小さな避難所です

    冷やし味噌汁で癒されて

    七月十四日。暦の上では小暑を過ぎ、梅雨明けを待つ空気と、本格的な夏の熱気が入り混じる頃です。

    夕方になってもアスファルトはぬるく、駅から家まで歩くだけで、ブラウスの背中がじんわり汗ばんでしまいます。

    そんな日に「このレシピが好きです」と胸を張って言えるものは何だろう、と考えました。

    得意料理なら、もう少し見栄えのいいものを選びたかったです。

    彩りのきれいなパスタとか、彼に褒められそうな煮込み料理とか、丁寧な暮らしの写真に似合う野菜のせいろ蒸しとか。

    けれど、私が本当に好きなのは、もっと地味です。

    器の中で味噌を溶かし、冷たいだしを注ぎ、豆腐を崩し、薄切りのきゅうりと大葉とみょうがを浮かべるだけの、冷やし味噌汁です。

    元気がある日はツナを入れます。少し贅沢したい日は、すりごまを多めにします。

    ごはんにかければ冷や汁のようになりますが、私の作り方はかなり適当なので、立派な郷土料理を名乗る勇気はありません。

    宮崎県の冷や汁は、暑く湿気の多い土地で、忙しい農作業の合間にも食べやすい生活の知恵として受け継がれてきた料理です。

    農林水産省の紹介では、焼いた魚や味噌、豆腐、きゅうり、薬味などを使い、ごはんにかけて食べる形が伝えられています。

    私の一杯はその簡略版ですが、「食欲も時間もない日に、体へ食べ物を届ける」という根っこの部分に、勝手に親しみを感じています。

    たぶん私は、レシピそのものより、この料理が許してくれることを好きなのです。

    包丁を上手に使えなくてもいい。

    品数が一つでもいい。

    写真に映えなくてもいい。

    誰かに食べさせる予定がなくてもいい。

    三十代になると、料理まで「ちゃんとしているか」を試されているように感じる夜があります。

    仕事は続いているか。

    貯金はあるか。

    結婚の予定はあるか。

    肌は荒れていないか。

    冷蔵庫に野菜はあるか。

    自炊しているか。

    そんな質問を誰かに直接されたわけでもないのに、帰宅してコンビニ袋をテーブルに置いた瞬間、自分で自分を採点してしまうのです。

    今日もできなかった。

    また簡単なもので済ませる。

    この年齢で、私は何をしているんだろう。

    冷やし味噌汁は、その採点表を濡らして読めなくしてくれます。

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    「自分のためだけに作る料理」が、いちばん難しかったです

    二十代の頃、私は料理が嫌いではありませんでした。

    むしろ、人に食べてもらう料理は好きでした。

    友人が遊びに来る日は、アボカドをきれいに切り、ちょっと高いチーズを買い、テーブルの上に小さな花まで置きました。

    恋人がいた頃は、相手の好きな味を覚えました。

    濃いめの味付け。

    やわらかい卵。

    玉ねぎはしっかり炒めること。

    「おいしい」と言われると、自分の存在まで肯定された気がしました。

    でも、ひとりになると急に作れなくなりました。

    自分しか食べないのに、まな板を洗う意味が分からない。

    自分しか見ないのに、盛り付ける意味が分からない。

    自分しか喜ばないことに、時間やお金を使うのがもったいないように思えました。

    これは節約ではなかったと思います。

    自分への遠慮でした。

    誰かのためなら千円の食材を買えるのに、自分のためだと百円の豆腐すら「今日はなくてもいいか」と棚へ戻す。

    婚活では「自分を大切にできる人がいいです」と話しているのに、家では自分をいちばん雑に扱っていました。

    笑ってしまいます。

    相手には誠実さを求めるのに、自分との約束は平気で破るのです。

    今日は早く寝よう。

    ちゃんと食べよう。

    疲れているから休もう。

    どれも翌朝には、開封されていない手紙みたいにテーブルの端へ追いやられていました。

    冷やし味噌汁を初めて作った日も、料理を頑張ろうと思ったわけではありません。

    冷蔵庫に、半分のきゅうりと、賞味期限が近い豆腐があったからです。

    火をつける気力はありませんでした。

    スマホで「味噌汁 冷たい 火を使わない」と検索して、器の中で作りました。

    だしの香りと味噌の塩気が、冷たい水の中でゆっくり広がっていきました。

    一口飲んだ瞬間、感動するほどおいしかったわけではありません。

    正直に言えば、少し薄かったです。

    きゅうりも厚く切りすぎていました。

    それでも、胃の奥に冷たいものが落ちていく感覚と一緒に、「私は今日、自分を見捨てなかった」と思いました。

    料理に救われた、なんて言うと大げさです。

    でも、人は大事件だけで壊れるわけではありません。

    小さな無視が積み重なって、自分のことがどうでもよくなっていきます。

    朝ごはんを抜いた。

    疲れているのに予定を断れなかった。

    傷ついたのに「大丈夫」と笑った。

    眠いのに、婚活アプリの返信を続けた。

    本当は行きたくないのに、嫌われるのが怖くて会いに行った。

    そんな小さな無視です。

    だから反対に、小さな一杯で戻れる夜もあるのだと思います。

    「今日は自分に食べさせた」

    それだけで、完全に壊れずに済む夜があります。

    私のレシピには、計量スプーンより「今日の疲れ具合」が必要です

    私の冷やし味噌汁は、料理上手な人に見せるには心細いレシピです。

    一人分なら、味噌は大さじ一杯弱。

    冷たいだし、または水を二百ミリリットルほど。

    豆腐は食べたいだけ。

    きゅうりは数枚。

    大葉、みょうが、すりごまを、その日の気分で加えます。

    水を使う日は、顆粒だしを少量入れます。

    たんぱく質が足りない気がしたら、ツナやサラダチキンを足します。

    ツナ、豆腐、トマト、オクラ、サラダチキンなど、身近な食材を組み合わせた冷たい味噌汁は、夏向けの時短レシピとしても紹介されています。

    七月の献立には、オクラ、冬瓜、あじ、ゴーヤなどの旬を感じる食材も並びます。

    難しい材料をそろえなくても、冷蔵庫にある夏野菜で一杯にできるところが、この料理の強さです。

    ただし、私のレシピでいちばん大切なのは、正確な分量ではありません。

    今日の疲れ具合です。

    まだ少し元気がある日は、味噌をアルミホイルに薄く塗って、トースターで軽く焼きます。

    香ばしさが出るだけで、急に「ちゃんと作った味」になります。

    冷や汁では、味噌を焼いて香りを出したり、すりごまやだしのうま味をしっかり利かせたりする作り方も知られています。冷たい状態でも味がぼやけにくくなります。

    何もしたくない日は、味噌を器の底に押しつけるようにして溶かします。

    豆腐は包丁で切らず、スプーンですくいます。

    きゅうりすら切れない日は、冷凍オクラを入れます。

    本当に限界の日は、具なしです。

    ここで「栄養バランスを考えて、主菜と副菜も用意しましょう」とは言いたくありません。

    できる人は、もうやっています。

    できない夜に必要なのは、正しさではなく逃げ道です。

    ゼロか百かで考えて、百が無理だからゼロを選ぶより、十三くらいの食事を口に入れる。

    その十三が、翌朝の自分を少しだけ助けます。

    三十代の生活は、誰にも見えない疲れが多すぎます。

    職場で後輩には余裕のある顔をして、親からの「いい人はいないの」に笑って答え、婚活アプリでは感じのいい文章を返し、鏡の前では新しく増えた白髪を一本だけ抜く。

    帰宅したときには、もう一日分の愛想を使い切っています。

    そこから丁寧に料理をするのは、ときどき、あまりにも遠いのです。

    だから私は、火を使わない料理を怠けだと思わないことにしました。

    切らないことも、洗い物を増やさないことも、同じものを三日続けることも、自分を生活から脱落させないための工夫です。

    料理は、人に褒められるための作品ではありません。

    自分を明日まで運ぶための乗り物です。

    豪華でなくていいのです。

    安全に着けば、それでいい夜があります。

    食事の写真を撮って、誰かに見せなくてもいいです。

    オシャレな器に盛らなくてもいいです。

    「これだけでは足りない」と自分を責めなくてもいいです。

    何も食べなかった自分と比べれば、味噌を溶いた自分は、十分すぎるほど自分に親切です。

    私たちは、自分に対してだけ、合格点を高く設定しすぎます。

    友人が「今日は疲れたからパンだけ食べた」と言えば、「食べただけ偉いよ」と思えるのに、自分が同じことをすると「だらしない」と責めます。

    その厳しさは、本当に必要なのでしょうか。

    自分を立派にするための言葉が、自分を立ち上がれなくさせているなら、いったん捨ててもいいと思います。

    丁寧な暮らしより、続けられる暮らし。

    理想の私より、今日を終えられる私。

    そのほうが、今の私には必要です。

    ずっと「母のレシピ」だと思っていた一杯には、知らない続きがありました

    先日、実家の古い引き出しを整理していたとき、小さなメモを見つけました。

    「みそ、すりごま、きゅうり、豆腐。冷たいだし。しんどい日はツナでいい」

    見覚えのある字でした。

    私は、それを母の字だと思いました。

    冷やし味噌汁を作るようになってから、どこかで「これは昔、母が教えてくれた料理だった気がする」と思い込んでいたのです。

    子どもの頃の夏、食欲がない日に出してくれたのかもしれない。

    忘れていただけで、体が覚えていたのかもしれない。

    少しだけ感動しました。

    母と娘をつなぐ、名前のない家庭料理。

    そういう美しい話にできる気がしました。

    私はメモを持って台所へ行き、母に聞きました。

    「これ、お母さんが書いたんだよね」

    母は老眼鏡をかけ、しばらく紙を眺めてから言いました。

    「違うよ。あんたの字やん」

    一瞬、意味が分かりませんでした。

    メモの裏には日付がありました。

    八年前の七月でした。

    その頃の私は、仕事を辞めるか迷い、恋人との関係もうまくいかず、毎晩のように母へ電話していました。

    何を話したかは、ほとんど覚えていません。

    母が言うには、ある夜、私は電話口で泣きながら、「何も食べたくないけど、お腹は空いた」と言ったそうです。

    母は、家にあるもので冷たい味噌汁を作ればいいと教えました。

    私はその場でメモを取り、翌週、実家に帰ったときに置き忘れたらしいのです。

    つまり、あのレシピは母のレシピではありませんでした。

    正確には、母の言葉を、八年前の私が必死で書き留めたものでした。

    もっと驚いたのは、メモのいちばん下に、薄い字で一行だけ続きがあったことです。

    「誰かに作る前に、自分が食べる」

    私は、その言葉を書いたことを覚えていませんでした。

    たぶん当時の私は、今よりずっと必死でした。

    誰かに愛されること。

    必要とされること。

    ちゃんとした女性に見えること。

    そのための料理は作れても、自分を生かすための一杯は後回しにしていました。

    八年前の私が書いた言葉を、今の私がやっと読めたのです。

    好きなレシピは何ですか、と聞かれたとき、私は料理名を答えようとしていました。

    でも、本当に好きなのは、冷やし味噌汁ではないのかもしれません。

    私が好きなのは、「誰かに作る前に、自分が食べる」という順番です。

    恋人ができたら作ろう。

    結婚したらちゃんとしよう。

    収入が増えたら良い食材を買おう。

    痩せたら好きな服を着よう。

    肌がきれいになったら写真を撮ろう。

    私たちは、自分を喜ばせることに、いつも条件をつけます。

    けれど、人生は条件がそろった日から始まるわけではありません。

    汗で前髪が張りつく七月の夜も、既読がつかないスマホを伏せた夜も、仕事で言い返せずに悔しかった夜も、すでに人生の本番です。

    だから今夜、私は自分のために味噌を溶きます。

    誰かの妻ではなくても。

    料理上手ではなくても。

    年収が高くなくても。

    今日を完璧に過ごせなくても。

    冷たいだしの中に、豆腐を落とします。

    大葉をちぎります。

    ごまを多めに振ります。

    見た目は地味です。

    でも、これは私が私を後回しにしないためのレシピです。

    もし今日、何も作りたくないなら、立派な料理を作らなくて大丈夫です。

    味噌を溶くだけでも、ヨーグルトのふたを開けるだけでも、パンを一枚食べるだけでもいいのです。

    自分に食べさせることは、自分を甘やかすことではありません。

    「まだあなたの人生を続けたい」と、体に伝えることです。

    そして、八年前の私が残したメモには、もう一つだけ、これまでの話を台無しにするような事実がありました。

    「しんどい日はツナでいい」の「ツナ」は、魚の缶詰ではありませんでした。

    母に確認すると、当時わが家で飼っていた猫の名前が「ツナ」でした。

    泣いて何も食べられない私に、母はこう言ったそうです。

    「味噌汁も無理なら、ツナを抱いて寝なさい。今日はそれでいい」

    私は電話口で聞き間違えて、レシピの材料として「ツナ」と書いたのです。

    だから私の冷やし味噌汁には、ずっとツナ缶が入っていました。

    間違いから生まれた味だったのです。

    でも、その勘違いのおかげで、たんぱく質も取れて、案外おいしい一杯になりました。

    母は笑いながら言いました。

    「何年もツナ缶を入れよったん? あんた、本当に人の話を聞いてないね」

    私も笑いました。

    感動的な母娘の秘密のレシピだと思っていたのに、実際はただの聞き間違いです。

    しかも、猫を抱いて寝なさいという話を、食材の指示だと思っていました。

    私らしいといえば、あまりにも私らしいです。

    人生には、直さなくていい間違いもあるのだと思います。

    泣きながら書いたメモも、聞き間違えた言葉も、うまくいかなかった恋も、遠回りした仕事も、後になって自分を助ける材料になることがあります。

    正しく聞き取れなかった言葉が、八年後の私のお腹を満たしていました。

    失敗した恋愛があったから、ひとりで過ごす夜の寂しさを言葉にできました。

    仕事で笑顔を作りすぎたから、自宅では笑わなくていい時間の大切さを知りました。

    婚活がうまくいかない日があるから、誰かに選ばれる前に、自分を選ぶ必要があると気づきました。

    今日の失敗が、八年後のあなたの好きなレシピになるかもしれません。

    今は意味が分からなくても、あとから味がなじむことがあります。

    だから、少しくらい不格好な夜も、なかったことにしなくていいのです。

    冷蔵庫にあるものを器に入れ、冷たいだしを注ぎます。

    味が薄ければ、味噌を足せばいいです。

    濃すぎたら、水を足せばいいです。

    人生も、それくらいの調整で許されたらいいのにと思います。

    でも、案外、本当にそれくらいでいいのかもしれません。

    間違えたら、何かを足す。

    疲れたら、少し薄める。

    何もできない日は、猫でも枕でも抱いて寝る。

    そして明日、また食べればいいのです。

    私が好きなレシピは、冷やし味噌汁です。

    ただし、材料欄の最後には、こう書き足しておきます。

    「ツナ缶はお好みで。猫のツナがいる人は、そちらでも可」

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    【参考サイト】

    ・農林水産省「うちの郷土料理 冷や汁/宮崎県」
    ・NPO法人うま味インフォメーションセンター「日本の郷土料理とうま味・冷や汁」
    ・味の素「夏の困りごと、みそ汁がお助けします!」
    ・キッコーマン「7月の献立・レシピ集」
    ・FOODIE「すり鉢不要の冷や汁レシピ」

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